3 月 11 日。あの日から 3 年。
2011 年 3 月 11 日の東日本大震災から 3 年、
被災地の現在、そしてあの日のキオクを振り返ります。
震災前、震災直後、そして 2013 年の被災地
震災前、震災直後、そして 2013 年の被災地をストリートビューでたどる
復興 ‐ イノベーション東北 ‐
インターネットを通じて企業や個人が力を結集し、東北のビジネスやコミュニティの復興を加速させることを目指すプロジェクト
ヤマキイチ商店
新鮮な活きたままの「泳ぐホタテ」を
三陸への誇りと共に届け続ける。
豊かな海に育まれた三陸産のホタテを、価格も発送方法も一切、妥協せず、新鮮なまま送り届ける。それがお客の笑顔、そして漁師の誇りの再興に繋がると信じて。直販のお客を増やすため、サポーターを頼り、ウェブ閲覧数の向上に取り組む。
気仙沼 新富寿し
一貫入魂。全国の皆さんに
ありったけの魂と感謝を込めて。
店を流された同業の仲間と「流され寿司握り屋衆」を名乗り、“流し”の職人として全国を巡ってきた。各地で紡いだ多くの絆に支えられ、 2014 年 1 月、遂に店舗を再建。サポーターと一緒に作ったウェブサイトも活用し、新店を告知。スタートラインに立った。
松永窯
窯も原料も失ったが、技は残った。 300 年の伝統は絶やさない。
青ひび模様、走り駒の意匠、二重焼構造を特徴とする大堀相馬焼。福島第一原発事故により、窯も青磁釉の原料も諦め二本松に拠点を移した。松永窯率いる KACHI-UMA プロジェクトは復興の狼煙。新進デザイナーらが新しい走り駒を描き、サポーターが PR に尽力する。
冨沢酒造店
救い出した酵母「白冨士」を携え
次の酒は新天地アメリカで仕込む。
福島第一原発事故の影響から 300 年続いた酒蔵を残し避難。その後、命がけで取り戻した酵母「白富士」を携え、「いっそグローバルに」と打って出る。新天地と決めたのはアメリカ。現地に知己のあるサポーターの力を借り、原料の米や水、販路開拓が始まった。
福島県浪江町の今
原発事故により、警戒区域等に指定された*福島県浪江町。
震災から 2 年後をストリートビューでたどる。
* 2013 年 2 月当時
震災遺構デジタルアーカイブプロジェクト
東日本大震災で被害を受けた施設の外観・構内を撮影し、記録・保存。後世に震災の記録を継承する取り組み
みんなの笑顔
もうすぐ、春
春の訪れと共に多くの桜の写真が投稿されました。